◇なぜ人間だけが病気になるのか

身と心を支配する〝おもい〟の存在

ここでは、病気に大きく関わる「おもい」について述べます(前著『大自然の法則で人生大逆転』にも詳述)。

人間は、3つの道具をもってこの世に生を受けています。この3つの道具で人間をやってきなさい、と送り出されたのが人間生命体です。その3つの道具とは、「身」と「心」と「おもい」です。

1つ目の身とは、目に見える人間の肉体であり、この身によって人間は自分の生命を成長させ完成させます。身とは、「おもい」を表現する衣であり、人間に成るための作業着です。そして、この作業着には80年という寿命があります。

2つ目の心とは、脳がつくり出す意識の世界です。通常、思う・考える・知るということをするのが心といえばわかりやすいと思います。そして、学校教育で行うのは、心の働きを高めることです。

そして、3つ目が「おもい」です。

この「おもい」とは人間の本体、つまりは人間の魂そのもののもつ波動というべきものです。「おもい」とは、苦を刻んで生きるか、よろこびを刻んで生きるか、それを無意識に刻一刻と決定している人間の魂の発する波動なのです。

そして、この「おもい」が発する波動のエネルギーは心の発する波動のエネルギーの10倍も強く身と心を支配しているのです。

さらに、この波動である「おもい」にはもっと大きな働きがあります。それは同調(チューニング)作用といい、この空間に存在する同じ振動派をもつ波動を引き寄せることで、「おもい」で描いたことが、のちに現実になるということです。

すなわち、私たちの眼前に映し出される現象は、「おもい」のエネルギーがからみあって引き起こされているのです。これが「おもいが先、結果が後」という大自然の法則の一つです。

病気に苦悩する人は、薬によって病気を治そうとするかもしれません。医者の指示にしたがい、医者の施す処方によって病気を治そうと試みます。

すべての病気は、ほとんど治すことができるのであり、あるいは将来において必ず治せるに違いないと、人々は絶大なる信頼を寄せて病院の門をたたくのです。

しかし、ほんとうに病気を肉体的な次元の物質的変化ととらえる科学的なメスだけで完治できるでしょうか。

なるほど、科学的な医療の発達は著しいですが、それと同時に医療に対する病気の抵抗力も著しい進展をみせています。病原菌の一種であるウイルスは、遺伝子レベルで薬に対する脅威的な抵抗力をみせています。近年のコロナウイルスによる被害を見れば、そのことは明らかでしょう。

それに加えて、科学技術の発達が生み出す各種の化学物質は、これまで予想もしなかった病変を引き起こし、慢性的で悲惨な形で人間の肉体をむしばんでしまう場合もあります。

対症療法としての科学的医療は必要ですが、そろそろ私たちは事の本質を見据え、医療だけに自分の運命を託すことから抜け出す必要があると思いませんか。

病気の原因をたんに物質的な変化が引き起こす現象であるとみるかぎり、病人は永久に病人のままでしょう。対症療法としての医療によって一つの病気が治ったようにみえたとしても、その人は病人のまま、また新たな病気に身体を蝕まれる危険性があります。

なぜ、私たちは病気になるのでしょうか。そこには、先祖から受け継いだ血の問題もありますが、ほとんどの場合、私たちの生き方に根本的な問題があるからです。その問題とは、マイナスの「おもい」(苦)を刻む人間は、マイナス現象を引き寄せ、いつでも病気になる危険と隣り合わせということなのです。

病気を起こすのは、ほかならぬ自分自身がマイナスの「おもい」(苦)を刻む生き方をしていることによるのです。

すなわち、大自然の法則に反した生活が、巡り巡って病気という形をとって私たちの肉体にあらわれているのです。そのことに気づき、人間本来の自然のリズムに沿った生活を取り戻せばいいのです。

病気と病人はまったく違います。病気は気づきのきっかけを与えてくれる現象で、なんの問題もありません。いっぽう、病人は病気を苦にする人であり、病気に振りまわされて苦の「おもい」を刻む人です。

仮に私たちがいま、病人であったとしても、大自然の法則に沿った本来の生活に立ち返るならば、そのときから病人でなくなります。そして、病人でない者には、もはや病気は寄ってこないのです。

この大自然の法則に気づき、一刻も早く、みずからを病人から解放する必要があります。苦の「おもい」を刻む人は病人となり、よろこびの「おもい」を刻む人は健康のまま自由自在なのです。大自然の法則のなかでは、人間にはこの2つの生き方しかありません。

つまり、「おもい」とは、そのように人間の幸・不幸を決定する根源的な作用をもって私たちの中に存在している力なのです。