患者に対する医者の目線で、東京大学大学院医学部客員研究員の岡部哲郎医師は著書『西洋医学の限界』の中で次のように述べています。
「医者がもっとも重視しなければいけないのは、一にも二にも患者さんの訴えです。体の調子の悪いご本人こそが、その症状の種類や程度をいちばんよく理解しています。見た目におかしくなくても、患者さんがおかしいと言ったらおかしいのです。どこかに、その不調をきたす原因があるのです。
中医学(東洋医学)には「未病」という考えがあります。病名を特定できる病気の発病には至っていないものの、その一段階手前で体の調子が悪くなっている状態を指す言葉です。放っておくと大きな病気につながるリスクがあるので、ここで病気の進行を食い止めるため、患者さんからしっかり話を聞き、適切と考えられる処置を施す。それが中医学(東洋医学)の基本スタンスです。
よって私は、触診や視診から推察されることと、患者さんの訴えが異なる場合は、原因を特定すべく時間をかけてじっくり話を聞くようにしています。
西洋医学に「未病」という概念はありません。目に見えてわかるものがすべてで、原因がわからなければ、病気扱いはされません。なかには、検査結果に異状が見られないと『病気ではないので安心してください』と平然と言ってのける医者もいるくらいです。
さらに、『とりあえず、お薬を出しておきますね』という医者もいます。とりあえず、とはどういうことなんでしょう? 原因がわからないのに、なぜ薬を出せるのでしょう。
患者さんは、体に違和感を覚えているから病院に来ているのに、『病気でない』と言いきり、そのうえ『薬を出す』なんて……。
私にはとうてい理解できません。患者さんの訴えよりも検査結果を重視する医者には任せるな!
そんな医者、病院とは、いますぐにおさらばしましょう」
また、新潟大学医学部名誉教授の岡田正彦氏は、過剰な医療が命を縮めると以下のように述べています。
「がん検診のうたい文句は、〝早期発見、早期治療〟です。それにもかかわらず、がん検診を受けても寿命が延びないのはなぜなのでしょうか?
その理由は明らかになっています。
先進国の3大死亡原因は、どの国もほぼ同じで『がん』『心臓病』『脳卒中」、そして『肺炎』または『老衰」のいずれかです。
ところが、米国の研究者たちが発表した論文によれば、死因の第3位はこれらのうちのいずれでもなく、『過剰医療』によるものでした。
具体的には、薬の過剰投与、必要のなかった手術、院内感染、放射線被ばくなどによる死亡でした。
『治療の必要がない変化を見つけたばっかりに……』ということが発端になっているのです。
特に深刻な問題はエックス線検査によるものです。肺がん検診の調査からわかったのは、胸のエックス線検査を年に2回受けた人は3年後に肺がんになる確率が明らかに高くなっていたことです。理由は放射線被ばくにより、新たながんが発生したためでした。
検査を受けておけば安心、という人々の気持ちは万国共通です。しかし、症状がないまま定期的な検査を受けることで、過剰医療の被害者になる可能性があることを、記憶に留めておく必要があります」
また、作家の五木寛之氏(現在92歳)は、著書『大河の一滴』の中で以下のように述べています。
「自分のこれまでの生活をふり返ってみると、じつに理屈に合わないことばかりやってきた。自分の内なる声に忠実に、などといえばキザに聞こえそうだが、要するに気が進まないことはしない、という一点を頑固に守り通して生きてきたのだ。
たとえばレントゲンは撮らない、というようなことである。注射も自分の体には良くないと思って避けてきた。検査もしない。そもそも検査ということ自体が、体にとって歓迎できることとは考えられないのである。当然、バケガク(化学)的な薬品は体に悪いと考える。ということは、要するに病院にはできるだけ近づかないようにして生きるということだ。……中略……
なぜそんなことを偉そうに書くかといえば、世の中には必要もないのにやたらと病院や医者に頼ろうとする人たちが、あまりにも多すぎるからだ。なかには人間ドックや検査が趣味、という向きもあって、せっせと病気を探してもらいに病院に出かけていく。自分で自分の体を守ろうという自立心が欠けている、というのがまず問題なのである。
病気を探す、ということ自体がそもそも変な気がしてならない。人間というものは、オギャアと生まれたそのときから、すでに病気を抱えて生きているものなのではないか。世の中に完全に健康な人間などというものはいるわけがない。死は万人にセットされている。哺乳動物には等しく5億回あまりの呼吸と百年前後の時間が与えられているだけだ。
すなわちわれわれはすべて死のキャリアとして誕生してくるわけで、これを抑制するクスリも、医学的手段もない。もし老化をストップさせる薬品が出現したとしたら、それを使い、それに頼ること自体が病気といってもいいだろう。
こういうことを書くのは、本当にひどく気がひけることである。不幸にして病に冒され、深刻な闘病生活のなかで必死に生きていらっしゃる方々には、傲慢不遜な物言いのように受け取られてもしかたがない。しかし私は、必要のない人々が病院に押しかけたり、自立心を欠いた患者たちが事あるごとに医師や薬に頼ろうとすることにイチャモンをつけているのだ。ちょっと風邪気味だったり、少し疲労がたまったり、それほどでもない
本当にしかたがないときしか病院に行かない、それが大事なことなのだ。医者の世話になるのはギリギリのときだ。やむをえず、しかたがないから診察を受け、医療の世話になるのだという考え方に立つべきなのである。
さらにいわせてもらえば、むやみやたらと科学や医学に頼るな、ということだ。科学は