バイオテクノロジーが最近、急速に発達しています。特に食品の分野ではどんどん実用化され、皆さんの食卓にお目見えしているものもあります。
遺伝子組み換えや細胞融合をメインとしたこのバイオテクノロジーは、パンや味噌や酒といった発酵食品から不純物を減らして味を良くしているといいますし、無臭のニンニク、メスしか生まれない鮭や鮎など、バラエティに富んでいます。
しかし残念なことに、これらは天然のものに栄養の点で劣るのです。明らかに自然界にあるものに比べると、生命力が弱いのです。つまり、エネルギーが低下した食品といわざるをえないのです。
カロリー計算では、加工品というものは一日に取る量が同じであっても、栄養価の点で極端に落ちるものなのです。
そう考えると、量では昔の子ども以上に食物を取っている現代の子どもたちの体力が劣っていることは十分にうなずけることでしょう。
バイオテクノロジーとは、いわば生命の謎に挑み、生命の本質を分子、細胞、組織などのレベルで追及し解明していく新しい生物学です。
ですから、これらの研究の結果によっては、人間の不老不死、あるいは新たな生命の創生も可能になるかもしれません。
そこで、バイオテクノロジーというものを、人間の問題としてとらえてみると、最近、なにかと話題になっている〝臓器移植〟にしても、バイオテクノロジーの力を借りるならいまにすべての器官の取り換えが可能になるかのようです。
しかし、残念ながら、いまの科学技術では、臓器移植はまずほとんどの場合、うまくいかないといえます。
なぜならば、いまの科学が見落としている、人間の肉体から自然に出ている波動の問題をなんの分析や理解もしないで、そのまま放置しているからです。
人間は、一人ひとりその人特有の波動というものをもっています。しかもその波動は、各自、微妙に違っています。
それぞれの人間には、そしてその人の臓器には、その人の
だから、波動の違う他人の臓器を移植したからといって、うまくいかないのです。
つまり、生命の誕生から始まり、どのような環境に育ち、本人はどのような気持ちで成長してきたか、まるでそこを無視した、生きざまの違う人をひとつにしたとしても、木に竹を継ぐようなものです。その人の体に異物がくっついたのと同じで、うまくいかなくなるのは自明の理です。
また、他人の臓器を移植する際、麻酔とか化学物質の注入によって、その人の抵抗力が極端に落ちることが考えられます。そこに、さまざまな合併症が誘発され、免疫不全で死を招くこともあるでしょう。
こう考えていくと、臓器移植そのものが医学的に無理があり、かつその人なりの自然の生きざまに反するものであることがよくわかるでしょう。
大自然の法則から見れば、その人の生き方が不自然である分だけ、肉体の故障となってあらわれたのですから、それを変えないことには根本的な解決にはならないことになります。
ですから、目に見える肉体次元の治療法でいくらやってみたとしても、それは対症療法にすぎないし、その人に、病気になった本質を見誤らせる結果となってしまうのです。
病気とは、自分自身が招いたものですから、それを治療する力も当然、自分自身の中にあるものなのです。
その本源的な力を引き出し、自分の病気に打ち勝つためには、自分本来の自然のリズムをもった生き方をし、そして、〝