人はがんですと宣告されたらどうなるでしょう。それを聞いたとたんに〝死〟へと一直線に加速するといいます。それは、だれでもが「がんは不治の病」という〝
これが、世間でのがん患者の実像です。
こんな囚われ方をすれば、どのように軽い、早期の人であっても、そのがんが治る見込みはありません。
がんは怖くないのです。あなたは、まずこの考え方を出発点としてください。
だからまず、このがんを自分の心の中から解き放つことを念頭に置けばいいのです。〝頭を取る〟ことで容易にがんから自由になれるのです。がんを自分の中から消すには、自分ががん患者でなくなればいいのです。がんを忘れてしまえばいいのです。
すると汚れた血液が浄化されて、がん細胞は自然と増殖を止めて停滞し、ついには消えていくのです。がんを忘れる前に大切なことは、がんを恐れてはいけないということです。
がんは先にもふれたように、人間にとって必要なものです。人間がよりよく生きていくための注意信号なのです。血液の汚れを知らせるシグナルだから、この信号を正しく受け止めればいいのです。
がんを恐れて、これを死の宣告と受け取るから、ますます悪化していくわけで、がんは人類に差しのべられた〝愛の手〟なのだ……という点を正しく認識し、それを素直に受け止めていけばいいわけです。あとは血の汚れを取り去ればいいだけです。
こうして考えれば、がんは死の宣告とは逆に新しい「生」の出発に思えるでしょう。
がんの宣告を、死の使者として恨みをもって迎えることは、がんをいっそう拡大することになりかねません。なぜなら、「生かされている本体」とのギャップがますます大きくなるからです。
人間は未来に向かって生かされているはずです。その生かされていることに忠実になろうとするが、なかなかそのようになりきれない、いわば病気をもった動物です。頭では、やっていけないと知っていながら、もうひとつの無意識の自分がそれをやってしまうという病気なのです。
人間の行動はこのように「わかっているけど」という意識的な自分と「やめられない」という無意識な自分とのズレを生じさせながら生きています。これが「生きざま」なのです。
物事がうまくいかなかったり、思いどおりにいかないのは、自分の生きざまのなかのズレが大きいときです。このズレが大きくなったとき、大自然の法則はシグナルを送ってくるのです。すなわち「がん」の発生です。
このシグナルを素直に大自然からの思いがけない贈り物として受け取り、それをきっかけとして自分の生きざまを埋める「生きざまの修正」を行えばいいのです。つまり、生かされている本体としての自分自身のありのままの姿を取りもどせばいいのです。