◇病気の活かし方

病むということ

病気を人間にとっての最大の敵だとし、根絶しようとする現代の医療の姿勢は、いたずらに病気を、いや、病人を増加させるだけです。

病気と病人は別物です。病気とは、生き方のどこかが間違っているというシグナルです。その警鐘を警鐘と察知することなく、自分を脅かすものとして意識して苦に病みます。うち勝とうと闘って、かえって身体に「無意識」に病気を鮮明に焼きつけ、悪化させてはまた苦に病むという堂々めぐり。それが病人になるということです。現在の医学が病人を増加させるとは、そういう意味です。

病気というのは、すべて自分にこだわるその生きざまが招く結果なのです。

病気を一度も患わずに寿命をまっとうしたという人、つまり老衰で静かに逝ったという人がいるのは事実です。その人にとっては、世の中に病気など存在しなかったも同然です。

では、なぜ病気になる人と、ならない人がいるのでしょうか。

生まれつき頑強であった? いえ、具体的な病気はしなくても、なんとなく腺病質だと思われていた人が寿命をまっとうした例はたくさんあります。逆に頑強そのものだった人が突然大病に襲われるという例は数えきれません。

長寿を誇る人に向かって「長生きの秘訣は何ですか」という質問をすると、質問を受けたお年寄りは、異口同音にこんなふうに答えます。「ものごとを気に病まないことです」、あるいは、「好きなように生きているからでしょう」

つまり苦に病まないのです。言い換えれば、ものごとにこだわらず、あるがままにのんびりと構えて生きてこられたということです。この方たちにとっては、病気という存在は、特別恐れるような対象ではないようです。「病んでよし、病まなければまたよし」という自然体。もっと言えば、「死んでよし、生きてよし」の構えでしょうか。

考えてみれば病を忌み嫌い、病と対峙するのは人間だけです。そうやって己の健康にこだわり、死を恐れ、生命を握りしめるのは人間だけなのです。

死は誕生と同じくあたりまえのことで、習わなくてもちゃんと生まれてきたのですから、習わなくても完全にかつ十分に死ぬことができるのです。つまり、どんな生き物も、ちゃんと生まれ、ちゃんと死んでいきます。それが大自然のあり方であり、私たちも自然にしたがっていれば天授をまっとうし、十分な死を迎えられるのです。

人間が病気と敵対するのは、死を自然なことだと受け止められないがためのあがきに相違ありません。

健康を握りしめたら最後、人は健康でいられなくなります。生命にこだわったら、その人は「死」にとらわれて、もがいて苦しんで死ぬことになります。

つまり、病気に敵対するのは間違っているということなのです。だからといって、病気を受け入れなさいということではありません。

病気を恐れることも、忌み嫌うこともないということなのです。

病気は、決してあなたから天授を奪う怪物ではないのです。病気をそのような怪物にしたてあげたのは人間です。

天からの啓示、天声は「病気は生きざまの間違いを知らせる警鐘である。病気を機に生きざまを修正しろということである」と示しています。

病気は病気としていったん置くこと。いままでの「よろこべていなかった」人生に対する評価が病気というかたちで表出したのですから、誤りを知って生きざまを修正すれば病気の必要性も消えます。だから、その病気がたとえがんであってもかまわないのです。がんはがんとしてそこに置きます。なぜがんにかかったのか、がんが自分に何を知らせているのか。それを知り、大自然の法則に沿った生きざまに軌道を戻します。そうすれば、前述したように、がんが新しい「生」の出発になるのです。