先に、病気は、よろこべていなかった、いままでの人生を気づかせる警鐘であると述べました。それでは、その人生の生きざまの間違いに気づいたとき、その間違いを正すために何をすればいいのでしょうか。
その生きざまを正す方法が、天から示された「
一、健康あふれた楽しい毎日です。
二、家族全員がゆたかで明るい毎日です。
三、希望にみちあふれた繁栄一筋の毎日です。
四、よろこびがいっぱいの毎日です。
五、感謝にみちた幸せな毎日です。
六、いつも楽しく
七、親切あふれた生かしあいゆるしあう毎日です。
一度、この7つの言葉を口に出してみてください。
いかがでしたでしょうか。
いたって簡単な、あたりまえの言葉ですね。
じつは、この7つの簡単な言葉を具現化した存在こそ本来の人間の姿であり、人間完成を成し遂げた究極の姿であり、人間という存在の本質的なあり方がここにあらわされているのです。
この本来の人間の姿は、すべての人が誕生と同時に与えられているものなのです。つまり、いまたとえ病気であったとしても、病気という状態の底深くには、この本来の姿が必ず潜在しているのです。
すると、病気に悩んでいる人が必ずこう質問します。
「私はいま病気なのに、『健康あふれた楽しい毎日です』となぜ言わなくてはならないのでしょうか。『健康あふれる楽しい毎日にしてください』ならわかるが、それでなければ嘘をいうことになる」
しかし、それは間違っているのです。なぜなら、本来の人間は健康そのものなのですから。目に見えないところには、健康だけがあるのです。そのように、「天」から命というものを授かっているのです。
ところが、「苦」を刻み、自分勝手に病気をつくってしまい、それを「苦」にして、さらに病気を悪化させていきます。さらに、「その病気を治してください」と言葉に出して言うと、さらにもう一つこだわりの「苦」を刻むことになるのです。
病気という現状をそのままに、「健康あふれる楽しい毎日です」と、「本来の自分の姿」を素直に言える生活になれば、いやでも病気は去っていくのです。
健康が欲しいから言うのではなく、「本来の自分の姿」を堂々と口に出して言える自分になることが大切なのです。
「本来の自分」を口に出して吐くこと、それが「
「本来の自分」を口に出して言っていると、見えないものが見えてきます。
「健康あふれる楽しい毎日です」と吐くと、病気であっても病気が「苦」にならなくなります。病気である自分にこだわらなくなるのです。
人間は、「首から下」の無意識の「
人間は吐いた言葉のとおりを、また吸いこみます。「嫌だ」という言葉を吐けば、その「嫌だ」を吸いこみます。それを繰り返せば、現実は吐いたとおりの「嫌な」現実になっていくのです。
だから、よろこびを表現した
たとえ病に苦しんでいても、貧苦で疲れ果てていても、この
私たちは目に見えることのみを現実であると思うのに慣らされ、自分のなかに眠っているほんとうの人間に気づきません。目に見える不幸な出来事を唯一の現実だと思いこみ、それが実体のない虚像であることに気づかないのです。
この