◇病気の活かし方

大自然の3つの中身

大自然は、ただただ繰り返し、自分の役割を果たすだけです。それが宇宙の進化につながっているのです。

人間も、大自然の一部ですから、大自然と同じリズムを刻み、大自然と一体になって生きればすべてが好転していきます。

大自然の中身は、3つあります。

1つめは、大自然は繰り返しているということです。

大自然を見てみると、地球はただ繰り返し自転しながら太陽の周りをまわり、月はただ繰り返し地球の周りをまわり、そこから、春夏秋冬が訪れ、潮の満ち引きが繰り返されます。また、地球上では、大気や海流が循環を繰り返し、日本で生まれたツバメは、フィリピン、マレーシアで越冬し、春になれば日本に帰ってくるという繰り返しをしています。この大自然に共通するのは、繰り返しです。それが大自然のリズムなのです。

心臓が繰り返し鼓動を打つことで、全身に血液が流れ、体の隅々まで酸素や栄養を運ぶことで病気が癒やされます。

人間にとって、一番不得意な繰り返しを生活のなかに取り入れることが、大自然と一体になって生きるということです。

先ほど述べた七観行ななかんぎょうを繰り返し吐くぎょうもその一つです。

2つめは、大自然の生物は、パイプとしての形態をもっているということです。そして、このパイプとしての機能を失くしたとき、すべての生物は死んでしまいます。

人間について考えてみましょう。

たとえば、口から食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸、肛門へと続く消化器官としてのパイプは、食物を流すことによって肉体を維持しているので、このパイプが詰まったら、すぐに肉体の死が訪れます。

また、心臓をポンプとして流れる血液は、血管という体中に張りめぐらされたパイプを通じて組織や細胞に必要な物質を供給し、生命活動を支えて循環しています。このパイプの流れに異常が生じたら、肉体が健康を損ないます。

このように、人間のありのままの姿を素直に見ると、私たちの存在は、大自然の生物と同様に、パイプという機能によってその生命を維持しているということがわかります。

パイプに流すということは、生命にとってもっとも基本的な形態です。

このことは、目に見えない部分でも、同じことがいえます。

たとえば、「こだわる」ということは、まさしく流れを止めるということです。それは、一点に意識が凝り固まり、そこから離れず、一つの対象を求めたり、願ったり、頼るということにおいて、自分という生命体をそこにくぎづけにしてしまいます。

流れるままに、すべてを流せばいい。これが、大自然の法則です。

病気にこだわり握りしめるということは、大自然の法則に反することなので、いつまでも病気が癒やされないということも当然のことなのです。

3つめは、大自然の生物は、すべて「生かされている」ということです。

そんなことはあたりまえだという方がおられるかもしれません。

でも、現実を見てみると、「生かされている」と思っている人は少なく、自分で生きていると思っている方がほとんどのようです。私も以前はそうでしたが、つねに「自分で生きている」のであり、「どのように生きるのか。どのように生きれば、幸福な人生を送れるのか」という意識でこの世をながめ、生活している方が多いように思います。

「自分で生きている」と考えるから、わが身が可愛い。わが身が可愛いから、わが身を守ろうとして病気が苦悩に変わる。病気が苦悩に変わるから、血液を汚す。血液を汚すからさらに病気は悪化する。

まさに堂々めぐり、苦の悪循環です。その原因は、「生かされている」という事実を拒否し、自分で生きていると思っているために四苦八苦しているのです。

「大自然は繰り返している」「大自然の生物はパイプである」「大自然の生物は生かされている」この3つを自分の生活に取りこめば、大自然の法則という後押しを受けて、病気を必要としない自分になるのです。

この3つをすべて実現できる道具が、「三法行さんぽうぎょうの実践」と、「頭を取る」ということなのです。

ただただ、大自然のリズムに沿って三法行さんぽうぎょうを繰り返すことで、人間のもつ本来のパイプとしての機能が復活し、「こだわり」が取れていきます。さらに、三法行さんぽうぎょうの繰り返しのなかで、「自分が生かされている」ことが体感でき、そのときには生かされていることへの「感謝」が込み上げてきます。

また、「こだわり」の元凶であり、願い求め、悩みをつくり出す「頭を取る」ことで、強力な宇宙エネルギーである天行力てんぎょうりきが頭のてっぺんから足裏まで一気に通過するようになり、過去のマイナスのおもいを一掃し、つねにプラスのおもいを刻み、よろこびが込み上げて止まらない自分になります。

その結果、大きく人生はプラスの方向に変わり、病気を必要としない自分になるのです。