ある調査で、シニア世代(50~79歳)1千人に現在の関心事を聞いたところ、「健康」が68パーセントともっとも多く、続いて旅行が53パーセント、お金が44パーセントということでした。
逆にいうと、健康にあこがれている、すなわち、現在なんらかの病気を抱えている人が、シニア世代にいかに多いかを示していることになります。
WHO(世界保健機構)の発表でもわかるように、幸いにして、恐ろしい天然病だった天然痘は地球上から姿を消しました。これをもって地球上に際限なく広がっていた伝染病の多くがほぼなくなったということ自体が大変喜ばしいことはいうまでもありません。
たしかに近代医学では臨床医学と同時に体外から侵入してくる微生物をいかに撃退するか……が大きなテーマであったし、近代医学の勝利ともいうべきサルフャ剤や抗生物質の発見こそ一部の細菌を撃退する圧倒的な効果も示したといえます。
ただ厄介なことに、病気というものは、ひとつの病気を絶滅させたとたん、不思議なくらいに次の新しい病気が生まれてくるものです。現に、全世界はコロナウイルスにあれほど悩まされました。
人類の生活様式とか時代の変化にともなって、新病原体も次々と思いがけない形で登場してきます。つまり、病気と医学との〝いたちごっこ〟という歴史のなかで、人類と病気は永遠の闘いを続けているということなのです。
そして、いつの時代にも手強い相手=病気は生まれ出て、残っており、この世から〝病気〟と〝病人〟は絶えることがありません。
ここで問題提起をしましょう。
医学の進歩によって、感染症の治療とか成人病の原因などの解明は急速に進んできました。これは事実です。しかし、新しい問題が生まれつつあるという現状も事実です。
たとえば、脳出血は激減しましたが、中高年の脳梗塞は増えているし、胃がんは減少してきても、肺がんとか直腸がんなどは増加の一途をたどっています。
たしかに医療技術や設備そのものは時代とともに科学の進歩と歩調を合わせて発展してきました。
しかし、医学の進歩は、病気との闘いを有利にしてくれましたが、健康を与えてくれませんでした。寿命の延長は、「不健康だが生きている時間は長くなった」ということを意味しているにすぎないともいえるのです。
近代科学が誕生して以来、人体の臓器のひとつひとつの働きについても、次第に解明されています。しかし、問題は次の点です。
それら人体の臓器が互いに連携を保ちながら、人間の生命を維持するために、全体としてどんな働きをしているのかとなると、まだまだ不透明な部分が残されているという点です。
医療技術はその〝科学の進歩〟と歩調を合わせてきたと先にいいました。
ですが、ハイテクを使った高性能の診察機器が次々に開発されているというのに、なぜ人体のさまざまな臓器が全体としてどんな関連をもちながら働いているのか、そして、なぜこれほど個々の病気の根源が解明されないのか……ここに、現代医療の抱える問題の芽がひそんでいます。
現代医学は人間の肉体の中に現代の科学を取りこみ、肉体の隅から隅まで細かく分析することによって、病気の原因を突きつめようとしてきました。人体を細かく解析する診療機器が開発され、病院は先を争ってそれらを手に入れようとします。
しかし、人間の肉体をいくら細かく分析しようが、またその肉体の仕組みとか構成を明らかにしようとしても、しょせん、病気の「真の原因」を見つけ出すことは不可能なのです。
つまり、人間の肉体をいくら分析していったところで、本質的にはそれぞれに形や姿がいくらか違っているだけで、他の植物や動物、はては木や石ころとすべて同じく元素にたどりつくだけなのです。
人間の肉体も他の物質と同様にそれ自体がエネルギーの表現体でしかありえないのです。
病気になったのは、そこになんらかのエネルギーが作用したから異常体となって顕在化したのであって、肉体そのものには〝原因〟と呼べるものはないのです。つまり、人が病気と出会うのは、大自然の法則のもとに決められた〝類の法則〟があって、出会うべくして出会うものなのです。類が類を引き寄せ、呼び合うように、病気を引き寄せ、つくってしまうのです。
だからこそ、病気を治すのに、肉体を分析するのではなく肉体をつくり出している根源というものを知らなければなんの解決にもならないということです。
この世に存在している物質や肉体といった目に見えるものというのは、ひとつの結果にすぎないのです。だから、結果レベルだけで、ものの分析ばかりをしていても何もわかるはずがないのです。
病気との出会いは人類のだれにでも関わる宿命の法則です。だからこそ、その病気を治すのに、肉体を分析するだけでは無意味なのです。
肉体をつくり出している、目には見えない根源を知らなければ、この世から病気が絶えることは永遠にありえないのです。そのことに人類は早く気づく必要があるのです。