島根県出身の私の父親は、高校を卒業後、すでに大阪府堺市で働いていた兄2人を頼って堺市に出てきて、足袋を作る会社に勤めました。若い頃は営業でバリバリ働き、日本国内を飛びまわっており、神戸市に住んでいた母親と昭和14年に結婚しました。父が29歳、母が21歳のときでした。
父と母が結婚して翌年長男を授かりますが、昭和16年、愛媛県宇和島で営業活動をしているときに、戦争中の食糧事情の悪化と仕事の無理から父は結核を患います。戦前に結核になれば療養しかなく、それでも亡くなっていく人が多くいる時代でした。さらに、長男をチフスで失うことになります(享年2歳)。せっかく授かった長男でしたから、両親の悲しみは大きかったと思います。
宇和島での結核の療養生活で父が出会った健康法にすべてをゆだねた結果、2年で結核が完治しました。完治後、母は昭和19年に長女を出産し、その後、堺市に戻ってきて、次女、私、弟を出産しました。
父が熱心に行っていた健康法を、父が結核を克服したのだからと信奉し、家族は全員実践するようになりました。おかげで家族はみな、大病することはありませんでしたし、父が92歳で天寿をまっとうするまで、病気で寝ている姿を見たことがありませんでした。また、母も令和3年10月に103歳の天寿をまっとうしました。
父は、療養後、体に負担がかからないように営業から事務に転じ、食事も朝・昼・夜と野菜中心の食事を心がけていたので、徒歩10分の会社から昼休みは自宅に戻って食事をし、ほぼ毎日定時には帰宅し、家族と一緒に食事をする毎日を過ごしていました。
主食は、お米に麦を混ぜた、いわゆる麦ごはんでした。私は、友だちの家では白米ごはんを食べているのがうらやましく、米だけのおにぎりや巻寿司を作ってもらえる運動会や遠足の日が楽しみでした。
自宅の小さな庭には私が生まれたときに父が植えてくれた柿の木が1本あり、秋にはたくさんの実をつけてくれるので、それを食べるのが家族の楽しみでした。この柿の木は、実を食べるだけでなく、健康にいいとされる柿茶を作るためにも大切なものでした。太陽にあてて刻んだ柿の葉にお湯を入れて作る柿茶は、ビタミンCを多く含み健康にいいので、毎日、家族みんなで飲んでいました。
この健康法のなかでも「温冷浴」は、私が大学で下宿に入るため18歳で実家を出るまで続けていました。温冷浴とは、通常の温かいお風呂と水風呂に1分間ずつ交互に入る健康法ですが、最初と最後は水風呂に入るので、冬には、お風呂に入るのがいやでしようがありませんでした。
また、私の出産を見ていた上の姉(当時6歳)から最近聞いたのですが、私が生まれたときの産湯はやはり温冷浴だったそうで、父親が私を水風呂に入れるのを、産婆さんは「可哀想に」といって目を背けていたそうです。
また、私が生まれて最初の健康診断で、医者から「この子は心臓が悪いので1年もたない」と言われたそうですが、父親が「この子は私の健康法で絶対に生かしてやる」といって、その健康法を使って育ててくれたそうです。おかげで、私は今まで大きな病気にかかったことはなく、かぜもひいたことがありません。ただただ父親に感謝です。
この健康法の考え方は以下のとおりです。
医薬品の進歩で病気の症状を和らげることはできるようになっても、根本的治療法はあまり進歩していません。たとえば、薬剤で胃かいようを小さくできても、胃かいようになる原因までは治せません。だから何回も再発します。血液降下剤で血圧値は下げられても、原因はよくわからないので、健康への不安は消えません。こういう例がいくらでもあり、日常よくかかる身近な病気ほど、医学の未熟さを露呈させてしまうのです。
じつは、病気は体が心身の調和をはかるために生み出した調整作用であり、有害なのは病気そのものではなく、それをもたらした原因にあります。病気そのものをなくそうとして、対症療法にばかり死力を尽くすことは、倒すべき相手を間違えて戦いを挑んでいるようなものなのです。これでは、いつまでたっても健康など得られるわけがありません。
傷口がぱっくり開いて大量出血をしている患者を前にして、薬の投与をためらっている余裕はありません。重い病気によっては、開腹手術が不可避な場合もあり、強心剤や下剤なども、緊急のときには使わなければならないこともあるでしょう。
このように、とりあえず症状を鎮めなければならない緊急事態には、現代医療は大きな力をもっていることも事実なのです。
しかしながら、現代医学は症状の改善を目ざしたものであり、根本的に病気の原因をなくし健康体を築こうという発想はありません。
病気による症状とは、体内に外部から入った、あるいは内部で生じた有害な原因を追いはらうために、体に備わっている治療法です。
たとえば、食べたものが悪かったとすれば、そのままでは体を害するため、体はできるだけ早く毒物を出す方法をとります。それが嘔吐や下痢という症状です。また、体内の組織に細菌や毒素が増えれば健康を害するので、血液の循環を活発にして、素早くこれを消毒して体外に出そうとします。これが発熱という症状なのです。これらの症状は、ほんとうの意味での病気ではなく、有害な毒素や細菌を駆逐するために、自然が採用する治療法なのです。
このように症状は良者であり、それ自体を駆逐することにはなんの意味もないどころか、かえって病気の快復を遅らせることにもなるのです。ここに現代医学がいつまでたっても人間から病気を切り離すことができなかった原因が隠されています。