あとがき

この冊子をまとめ終えて思うことは、人生でのすべての問題に対処する場合に共通することですが、病気と向き合う場合にも「大自然の法則」に沿うことが一番大事なことだということです。

いま、生かされていることに感謝し、こだわらないという繰り返しができていれば、たとえ病気になっても、生き方の誤りを知らせてくれたという気づきとともに、そのまま病気であることへの感謝がわいてきます。

すなわち、病気よ「ありがとう」なのです。

「ありがとう」は、お釈迦さまのお話に由来します。

ある日、釈迦が、弟子の阿難あなんに「おまえは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねました。阿難が「大変、喜んでおります」と答えると、釈迦は、次のような話をしました。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は、風のままに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。

阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」

阿難は驚いて、「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」と答えます。それに対し釈迦が「絶対にないと言いきれるか」と問うと、阿難は「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いといってもいいくらい難しいことです」と答えました。

すると、釈迦は「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」と答えました。

人間に生まれることは、それほど難しいことなのです。それが「有り難う(ありがとう)」になりました。

病気の予防法はいろいろあるし、それを行うことは健康を保つために必要です。

しかし、たとえ病気になっても、それを気づきの材料として楽しめる人間になる。そして、人間に生まれた奇跡を「ありがとう」と言えることが、病気の解決に向けた真のスタートとなるのです。

人間に生まれた私たちは、それだけで奇跡なのです。だから、いま、病気であっても不幸であっても、いっさいこだわる必要はなく、人間として生かされていることに「ありがとう」であることに気づいていただければ幸いです。